2008年06月09日

カラオケの功罪!

時代の移り変わりは本当に厳しいものです、初めてカラオケが出てきた昭和40年代の後半にはだいたいのクラブ、ナイトクラブ、サパークラブにはトリオ、デュエット、またはピアノの弾き語り、ギターの弾き語りが必ず入っていました、そうゆう私も3軒ぐらい掛け持ちをしていました、銀座のクラブで二軒、深夜に青山、赤坂、六本木(大体1年周期で場所を変えていました!)で1軒と忙しくしていました、本当に今では考えられない程仕事はありました、そこにカラオケの登場です、瞬く間に普及しました、一番厳しかったのはミュージシャンでしょう、世間のお店はすみわけが始まりました、普通の店は総てカラオケ、高級店は生演奏と分けられました、もちろんジャズクラブはそのまま生演奏でしたが、そこでミュージシャンの生き残り戦争が始まりました、ある者はギャラを下げられるだけでしたが、ある者は首になり、ある者は東京から名古屋、大阪、はたまた九州の博多、北は札幌と仕事を求めて都落ちです、断腸の思いでしたでしょうね、私はその時に六本木で店
を開店し店で歌ってました、まさに一石二鳥(と私は思っていましたが!)、しかし私のバンドのメンバーは三々五々と別れてしまい、ベースは「チャーリー、本意ではないけど実家に帰り百姓でもやるよ!」、ドラムは「妻子がいるからサラリーマンになるゃ!」、ピアノは私の店で一緒にやる事になりました、いわゆるバンドの解散ですね、今皆さんはカラオケで楽しんでると思いますが、当時に全国で何千人というミュージシャンが仕事を無くし、転職を余儀なくさせられました、時代の流れ、推移と一言で済んでしまいますが日本の音楽界にとって非常に残念なカラオケの登場でした!でも一般の方々にとっては画期的な登場ともてはやされた事も事実です、しかし生演奏の魅力は人と人(演奏家とお客様との)キャッチボールと私は思います、人と人のやりとりが楽しいのです、最近はあまり生演奏を楽しんでるという人達は少なくなって来ました、でも私達のバンドは皆さんと感情のキャッチボールを旨としてこれからも頑張ります、たまには皆さんも生演奏を楽
しんで下さいね!カラオケの話でした、しかし私もカラオケをたまにですが歌いますよ、十八番は吉幾三の「雪国」です、な〜んちゃて!



Posted by チャーリー半田 at 15:09│Comments(0)
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